『家庭の薬学』

自分に合った市販薬を選びませんか?

ドラッグストアの店員も失敗をする。そのことを語ってもよいだろうか?

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ジャーナリズム=情報のオープン化

前々回の記事に、批判のコメントをいただいた。

「ジャーナリズムなら、そのドラッグストアの名前を明かして欲しい。匿名で保護してたらジャーナリズムとはいえないなー。」

というものだ。

ブログタイトルに「ジャーナリズム」なんて書いてしまって、すごく堅苦しくていかめしくて、実は少々気恥ずかしかったりする。でも、最近は新聞社と雑誌社の経営状況がよくないせいか、バブリーな頃にはメディア人が考えなくて済んだ「ジャーナリズムって何?」なんてことが、割とあちこちで語られるようになった。

この「ジャーナリズム」という言葉は人によってイメージがちがって、新聞などによる情報の伝達全般を指す場合もあれば、社会の闇を暴くような調査報道を指す場合もある。英語のjournalismは前者だと思うけど、日本では後者の意味で使うことが多い。

とりあえず、このブログのタイトルにある「ジャーナリズム」とは、「情報のオープン化」であるとしたい。コメントされた方、どうぞ引き続きお付き合いください。

 

失敗を語ってもいいだろうか?

僕の好きな無料プレゼンサイトTEDに「医師も失敗する。そのことを語ってもよいだろうか?」という動画がある。カナダの救急医ブライアン・ゴールドマンが、自分自身の経験を通じて「医師は失敗談を共有すべきである」と語りかける内容だ。

「長年積み重ねた評判の一部を犠牲に しても・・・」

と言って彼は自分の失敗談を語り始めるのだけど、その内容がハンパじゃない。なんと、彼のミスによって患者が死んだという衝撃的なカミングアウトなのだ。何十年も昔のこととはいえ、こんなことを告白して患者遺族から訴訟を起こされないかと、見ているこっちがハラハラする。

しかし彼はおかまいなしに、自分がかつて起こした失敗を語っていく。一度の救急シフトで、盲腸を2例見逃したことも白状する。そして、きわめつけは次の言葉。

「多くの同僚たちと同じように、最悪の失敗は最初の5年間のうちに済ませた――と言いたいのですが それは大嘘です。ここ5年でも、私は手痛いミスを幾つかやらかしています」

視聴者は彼の事をとんでもない医師だと思うかもしれない。でも彼は、

「こんな(私の様に)失敗に次ぐ失敗の話をするのを聞いたことはありますか?カクテルパーティーの場でならひどい医者の話を聞くかもしれません。でもそれは自分がした失敗の話ではありません」

と言って、多くの医師はミスを犯しているが、それを他人に話していないだけであると主張する。そして、ミスの存在を認めず語ることを許さない医療界の慣習はなくすべきだと話す。彼が訴えたかったのは、間違いから得た教訓を他の人に伝えようとすることの大切さだ。詳しくは動画をみてほしい。日本語版がちゃんとある。

 

僕もミスをしている

さて、ゴールドマン医師の言うとおり、キャリアに関係なく医師はミスを起こすものだと思う。僕は学生時代、このゴールドマン医師と同じように“医療は完璧なもの”という漠然としたイメージを持っていたのだけど、その幻想は大学病院の短期実習で大量の疑義照会(医師が発行した処方箋への疑問を薬剤師が確認する作業)を目の当たりにしてあっさり打ち砕かれた。社会人になってからも、医療者のミスを何度か目の当たりにした。でも、最近は別に驚くこともなくなった。

だって、僕自身がドラッグストアでミスをしでかしているから。お客には申し訳ないけれど、ミスをするたびに、自己嫌悪に襲われ、気が沈む。

そこでこのブログでは、そんな僕のドラッグストアでの失敗談を幾つか紹介していきたい。同業者には同じ轍を踏まないようにしてほしいし、一般の人々にとっては「ドラッグストアの店員も間違えるんだな」と思ってほしい。こういうジャーナリズムがあってもいいのじゃないか。