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ときにはメディアの仕事を讃えたい。たとえば「献身―遺伝病FAP患者と志多田正子たちのたたかい―」という本について

メディア

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FAPという病気を知っていますか?

医療に関する一般書は数あれど、この本に勝る個性的な本はそう多くないと思う。理由は4つ。

・「FAP」という、世間に知られていない病気がテーマであること

・書籍ができるきっかけが、患者会からの抗議だったこと

・内容がタブーに触れていること

・大手紙の編集委員による自費出版(自腹)であること

朝日新聞編集委員の大久保真紀さんが去年上梓した「献身―遺伝病FAP患者と志多田正子たちのたたかい―」のことだ。

FAPとは家族性アミロイドポリニューロパシー(Familial Amyloid Polyneuropathy)の略称だ。「献身」はFAPについて書かれた国内唯一の一般書だと思う。去年、3240円で大型書店で購入した僕は、その内容があまりに衝撃的だったので、思わず市民図書館のおばちゃんに、

「これ、すごくいい本だから、棚に置いてほしいんですけどっ!」

と言って寄贈してしまった(というわけで、このエントリを書くために、図書館から再び本書を借りてきている)。

「献身」は、記者である大久保さんが、FAPの患者会の事務局長だった志多田正子さんという女性をはじめ、多くのFAPの患者を取材して書いた、約460ページにおよぶ渾身の作品だ。


Amazon.co.jp: 献身 遺伝病FAP (家族性アミロイドポリニューロパシー)患者と志多田正子たちのたたかい: 大久保 真紀: 本

 

 

発端は週刊朝日の記事への抗議

「献身」がこの世に出るまでの経緯は、にわかに信じがたいほど劇的だ。

著者である大久保さんと志多田さんの関係は、最悪の状況から始まっている。

2001年の週刊朝日で、医師で作家の永井明さんが「遺伝性難病を生きる」というシリーズの中でFAPを紹介した。

FAPは肝臓でつくられるアミロイドというたんぱく質が、全身の臓器や神経にたまり、様々な機能不全を起こす病気だ。発症は20代から30代が多く、患者は下痢や嘔吐を繰り返し、手足の自由がきかなくなり、痩せ衰えて10年程で亡くなる。いまのところ、根本治療は肝移植しかないとされる(※1)。専門家によると、国内患者数は1000人ほど(※2)。

永井さんは、記事の中でFAPを、FAP患者が多い熊本県のある地区の医師から取材中に聞いた呼称で書いた。ところが、これは差別や偏見への配慮に欠けた表現だった。雑誌が掲載された後で熊本にあるFAP患者会から抗議がきた。週刊朝日の編集長と副編集長は、謝罪のために熊本へ。船医として旅行中だった永井さんも、帰国後、家族会のもとへ行き謝罪した。

 

大久保さんの驚くべきお願い

当時、福岡で勤務していた大久保さんは、この騒動の当事者ではなかったけども、長く医療分野を取材していたため、謝罪の席に同席することにした。

さて、ここで大久保さんが、とんでもない行動にでる。

なんと、FAPに興味を持った大久保さんは、永井さんの謝罪の場の最後で、患者会の人々に、FAP患者の苦しみや悲しみを書かせてほしいと取材を申し込んだのだ。

差別や偏見で悩んでいる人達に謝罪に来たその場で、「取材して報じたい」というのだから、おそらく患者会の人々は驚いたことだろう。

「寝た子を起こさないでほしい」

「とにかく秘密にしてきた。そっとしてほしい」

当然のごとく、会場からは反発の声が上がった。患者会の事務局長で、自身もFAPの家系に生まれた志多田さんからも、厳しい視線で「来ていらん」といわれた。

普通の人はここで身を引く。けれども、記者という人種は、ちがう。むしろこれを好機と見る。

大久保さんはあきらめない。電話をかけたり、手紙を書いたり、そして福岡で記者の仕事をこなしながら、暇をみつけては熊本の志多田さんのもとに通った。1年後、志多田さんから、「患者さんに話を聞いてみる?」と取材の許可が出た。数年かけて、FAPという病を学び、患者たちの声を集め、そして40年近く無償ボランティアで患者に寄り添ってきた志多田さんの話を聞いた。2006年、大久保さんの「患者の告白―FAPと先端医療―」という全8回の連載が、朝日新聞の夕刊に載った。

さて、ふつうは記事になれば、記者としての仕事は一段落するのだけど、話はここで終わらない。

 

「本にして残してほしい」

連載終了後も、大久保さんと志多田さんの交流は続いた。

「献身」のエピローグによれば、いつのころからか志多田さんは大久保さんに、

「私から聞いたことを残してほしい。本にしてほしい」

というようになったという。

志多田さんはすでに70歳を超え、ヘルニアなどで足腰が立たず、部屋を這うような姿で一人暮らしをしていた。大久保さんは新聞社内の日々の仕事に追われ、志多田さんのもとに行けなくなっていた。

「急がんでいい。急いだらろくなものができん。いつか本にすればいいけん。待っている」と言い続けていた志多田さんは、やがて多発性骨髄腫などを患い、病院で寝たきりになった。

しかし、書籍とはそう簡単につくれるものではない。執筆には相当の労力と時間がかかるし、費用もいる。売れそうでない本は、出版社も振り向いてくれない。

どうして大久保さんが、志多田さんの希望を汲もうと思ったのか、僕にはわからないけれど、とにかく大久保さんは志多田さんの願いどおり、書籍作りに着手した。病床の志多田さんの死期が近いことを感じていたのかもしれない。

大久保さんは、2006年連載当時の取材内容に、連載後に新たに患者から聞いた話を追加してまとめあげ、2014年の1月にエピローグを書き終えた。翌月2月10日、志多田さんは73歳で永眠した。「献身」ができる2日前だった。

 

亡くなった患者さんたちに応えること

僕が「献身」の存在を知ったのは、志多田さんが無くなったあとの2月23日付の朝日新聞に大久保さんが書いたコラムがきっかけだった。

「ある女性の死 難病患者に捧げた44年」

というタイトルだった(※3)。

どんな話だろうと思って読むと、志多田さんの人生と、FAPという初めて聞く名前の病気と闘う患者たちの姿が、その壮絶さとは不似合いなほど静かな筆致で書かれていて、僕は自分の心が大きく揺さぶられるのを感じた。

大久保さんのツイッターを見てみると、志多田さんや患者さんの話は「献身」という本にまとめて出版されていることを知った。

 

朝日の編集委員が、わざわざ自費出版だって?そんな本は、出版社が見向きもしないほどつまらない内容か、よほど著者本人が世に出したいかのどちらかに決まっている。しかし、どうもこれは前者ではなさそうだ。

大久保さんのツイートは続く。

 

その後、大久保さんのツイッターには、「FAPという病気を初めて知りました」「是非買おうと思います」「アマゾンで注文しました」というコメントが寄せられている。

 

ジャーナリストも、医療者も一緒だ

大久保さんを自費出版へ突き動かした思いは、なんだったのだろう。

僕が思うに、困っている人に自然と手が出るような、シンプルな気持ちだったのじゃないだろうか。医療者たちやドラッグストアの店員が、患者やお客を前に、「この人のために、自分はなにができるだろう?」と自問する、いつものあの気持ちだ。

大久保さんはジャーナリストだ。内科医のようにFAP患者を診察できないし、薬剤師のような服薬指導もできない。でも、志多田さんに拒絶されてもくらいつく粘り強さや、他者に上手に伝える筆力がある。FAP患者さんが置かれている状況や偏見を明らかにし、無関心だった人の心に届けることができた。

「献身」の最後には、本書が患者や医師を批判するために記したものではないことや、取材に協力してくれた多くの患者さんや家族、そして医療従事者の方々への感謝が書かれている。

世の医療者たちのツイートには、いつもマスコミ批判が溢れている。かなり辛辣で尖った言葉が多くて、読んでいると僕は胸が痛むし気が沈むこともある。マスコミの医療報道は、現場の医療者たちが求める情報の質に達していないのだと思う。でも、「献身」を読んでいると、マスコミと医療者が手を取り合って、もっとうまくやっていけるような気がしてくるので、今回ここで紹介した次第だ。

このエントリを書くにあたって、もう一度読み返して、涙がでてきた。

アマゾンでも入手可能だから、ご興味ある人はぜひ。

本書は昨年11月に「日本医学ジャーナリスト協会賞」を受賞している(※4)。

 

 

※1 アミロイド―シス診療ガイドラインhttp://amyloid1.umin.ne.jp/guideline2010.pdf

※2 「献身」p.2

※3 (ザ・コラム)ある女性の死 難病患者に捧げた44年 大久保真紀:朝日新聞デジタル

※4 日本医学ジャーナリスト協会賞http://meja.jp/prize.htm