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ドラッグストアと人種差別。僕も人種差別をしているのだけど、どうしたらいいですかね?

時事問題

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僕も言われたことがある「これは差別的原稿」

旧聞に属するけど、大事なことだから書いておきたい。

作家の曽野綾子さんが産経新聞に書いたコラムが、「差別」だとして騒動になったのは先月のこと。南アフリカから新聞社に「アパルトヘイトを許容し、美化した」と抗議が来た。曽野さんは「差別」ではないと反論した。


曽野氏コラムで南ア駐日大使が本紙に抗議 - 産経ニュース

僕もむかし、ある原稿を書いた時、上司から「これは差別的だ」と言われたことがある。全然そんなつもりはなかったから、けっこうショックで(というか腹が立って)、「これのどこが差別なんですかっ」と言い返した。上司は理由を説明したけれど、僕はぜんぜん納得できなかったから、「差別だっ」「差別じゃないっ」と、いまの曽野綾子さんが反論するような押し問答になった。

結局、僕が折れて表現を変えることになった。

 

「障害を持つ」はダメ、「障害がある」はオッケー

差別とは何か、差別語とは何か。僕の奥さんが持っている、新聞記者が原稿を書く際に参考にする「記者ハンドブック」(共同通信社刊)の2008年版には、差別の表現について次のように書いてある。

例えば「障害を持つ(人・子ども)」という表現も、障害のある人が自分から障害を持ったわけではないので「障害の(が)ある(人・子ども)」と表現する配慮が必要だ

ぶっちゃけどっちでもいいじゃん?とか思うけど、これはたぶん僕がまだ差別の本質を理解していないからだと思う。

民俗学者赤松啓介さんの著書「差別の民俗学」(2005年)によると、「旧家」「家柄」「地主」といった、ぼくらが何気なく使ってしまいそうなこれらの言葉も、被差別部落をさかなでする表現らしい。

僕らが差別と思っていなくても、言われた人にとっては差別だと感じる言葉はある。だから、ふだん差別にさらされていない人が、自分の行いを差別と認識するとはとても難しい。

 

ドラッグストアで人種差別してます

今回のコラム騒動で、あらためて自分の周りを見渡した。ちょこちょこと差別があることに気づいたので、いくつか挙げたい。

まず、僕自身がドラッグストアで人種差別をしている。外国人のお客が来ると、僕が対応することになるのだけど、精神的に疲れている時は、あえてスルーして日本人の接客に回る。だって、英語で話すのってつかれるのだもの。外国人というだけで、個人を見ずに対応を変えているのだから、僕は僕の行為を差別だと思う。

 

「サンテボーティエ」のサイトも差別的だと思います

それから、市販薬のサイトにも人種差別的な対応をしているところがある。サンテボーティエの特設サイト。ここには「ご使用上の注意」の欄に、日本語だけでなく中国語の説明書もご丁寧につくっている。やけに親切だなあと思って内容をみたらコレ。

ご使用上の注意 日本語版

http://www.santen.co.jp/ja/healthcare/eye/products/otc/pdf/sante_beauteye.pdf

ご使用上の注意 中国語版

http://www.santen.co.jp/ja/healthcare/eye/products/otc/pdf/sante_beauteye_SC.pdf

中国語版は、どうみても「ご使用上の注意」じゃない。これも差別だと思う。なぜなら、これを作った人は、日本人にはちゃんとした安全性の注意書きを提示しているのに、相手が外国人だという理由だけでコストがほとんどかからない文字量の翻訳をせず、わずかな情報量しか提示していないからだ。

 

国を動かす政治家も差別していると思います

さらに、僕らがふだんテレビや新聞で見かけるお馴染みの人も差別をしている。ジャーナリスト魚住明さんの著書「野中広務 差別と権力」のなかで、政治家の麻生太郎さんが2001年に「野中は部落出身。あんな奴に総理を任せられるか」という趣旨の発言を、非公式の場でしたというくだりがある。かなり明確な差別発言だけど、当の麻生さんは、こののち日本のトップになり、いまも副総理兼大臣という政府の要職を務めている。国を動かすような社会的地位の高い人も、こんなあからさまな差別的な考えを持っている。

 

で、どうしたらいいですかね?

たぶん、差別的な例は挙げようと思えばいくらでも挙げられるんだろう。僕らの生活にも、社会にも、大小さまざまな差別があちこちに潜んでいることはたしかだ。

どうすればいいんですかね?

僕はドラッグストアで差別をしているし、メーカーのサイトにも差別的なものがあると感じている。そして、それを心のどこかで「しょうがない」ものだと感じて許容している。

ただ、もしドラッグストアの店員が、日本人も外人も区別なく接客するような世の中になったら、なんかいいなと思う。もし「サンテ ボーティエ」の「ご使用上の注意」が、日本語と同じように作られていたら、フェアな姿勢が気持ちいいと思う。

どうすれば、こんなふうな世の中になるだろう。これを考えることは、「差別とは何か」と考えるよりも、はるかに有意義なことだというのは、なんとなくわかるのだけれど。