堀江貴文さんのメルマガ購読を止めたこと、市販薬の広告に思うこと、それから広告の未来について

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堀江さんのメルマガの定期購読を止めました

ホリエモンこと堀江貴文さんのメルマガの購読(864円/月)を止めた。先日、堀江さんのメディア「ホリエモンドットコム」が、クライアントから広告料を受け取って掲載した記事にもかかわらず広告であることを表記してなかったという話が、ブロガー兼投資家の山本一郎さんから出たためだ。簡単に言うと、昔タレントがやらかして散々世間の批判を浴びた「ステマステルスマーケティング)」を、堀江さんのメディアがやっていたのではないかという疑惑だ。

堀江さんのメディアの運営会社は、広告掲載料を得ているものは広告のクレジットを入れている否定している。ただ、ぼくは、自分自身かつて広告代理店と一緒に仕事をしていた経験から、この公式発表と、経済サイト「ニュースピックス」に寄せられた関係者の方々のコメントを読んでも、「抜け道がありそうだな」と感じた。広告営業の現場は本当に泥臭い。それを掲載する編集の現場もまた泥臭い。残念ではあるけど、ステマに近いことはあったのではないかと思う。

 

問題の根は広告とメディアに対する不信感

何より今回、山本一郎さんは不記載の実例を掴んでいるらしい。だからぼくは山本さんの記事の信ぴょう性は高いと思う(ちなみに同氏が指摘していたサイバーエージェントの同様の問題は、サイバー側がクレジット不記載事実を認めた)。もし違うのであれば堀江さんは山本さんの記事について内容証明を送ったほうがいいんじゃないかと思うし、そして山本さんが間違っていた場合は、ぼくも堀江さんにこのブログを通じて謝りたいと思う。

まあ、堀江さんについては、これくらいにして、本題。

この騒動の根には、広告とメディアの不透明な関係に対する、世間の不信感があるとみて間違いない。僕が知る限り、クライアントからお金をもらっているにもかかわらず、広告表記をしていない媒体はネットにも、紙媒体にもある。テレビ業界にも、おそらく色々不透明な部分があると推測する。

 

責任の所在が不明な謎のテレビ広告

一般の人から見たらおかしいと思うであろう例を、市販薬の分野から一つ紹介したい。数年前、ある製薬会社の喉のイガイガに効くというクスリのテレビCMが、市販薬の業界団体から「効果を謳い過ぎで、消費者に誤解を与える可能性がある」と注意を受けたことがあった。指摘された会社は、業界団体に対して次のような趣旨の主張をした。

「指摘された広告に関してのテレビ広告は、製薬企業側が企画・作成依頼したものではなく、広告代理店と放映先のテレビ局との間で作成され、放映されたものであるため、製薬企業側にその責任はない」

ことの経緯は業界団体「日本OTC医薬品協会」が公開する「広告審査会レポート」に書かれている(※1)。これを初めて読んだ時、正直僕はわけがわからなかった。代理店とテレビ局が勝手に企業のCMを作ったってこと?なにそれ?どーゆーこと?

 

広告代理店の知人に聞いてみた

そこで先日、テレビCMに詳しい知人に酒の席で質してみた。彼は大手広告代理店で大手企業のテレビCMを担当している中堅社員。じつは酔っててちゃんとは覚えていないけど、彼の回答はたしかこんな感じだった。

――サイト(日本OTC医薬品協会)に、こんなことが書かれているんだけど、こんな状況ってありえるんですか?

「んー可能性としてはありえますね。代理店とテレビ局が作成して、その内容を編集する権限をテレビ局側が持つ場合がある。これは通常のCMとの違って、番組とCMの境界がちょっと曖昧な感じだったりして」

――クライアント側に責任が発生しないの?

「法的責任は置いといて、少なくともクライアントがCMの内容を最後まで知らないということは通常ありえない。外部から批判された時のことを想定して、どういう形で放送されるかは知っているけどあくまでテレビ局側の責任でお願いします、という体にすることは考えられる」

ははあ、なるほど。あくまで知人の推測だから、先のテレビCMがこの形をとっている確証はない。ただ、僕としては、あ、なるほど、これはつまり、雑誌でいうところの「記事広告」みたいなものなのかもしれないと思った。

 

要するに記事広告なのかな?

「記事広告」とは、新聞や雑誌に掲載される広告の種類のひとつだ。広告は通常、次の2つに分けることができる(人によって多少呼び名は違うかもしれないけれど、広告は概ねこのようになっているはず)。

純広告(ジュンコー)

表紙の裏ページなどにある一枚絵の広告。企業と広告代理店が広告ページを制作し、そのデータをメディア側が受け取る。いわゆる普通の広告。

記事広告(キジコー)

記事のような体裁の広告。デザインなどはメディア側が決められる。記事の中身は、メディア側が取材して書く場合もあれば、企業側から与えられる場合もある。

経験的に言うと、この2つの広告の大きな違いは、記事広告の場合は「編集権(タイトルやページの体裁を決める権利のこと)」がメディア側にあることだ(編集権のない記事広告もあるかもしれないけど僕はしらない)。先の広告代理店の知人が話すのは、まさにこの編集権の問題かもしれない。制作した広告の責任は、メーカーではなく、編集権を持つテレビ局にあるという理屈。わからなくはない。

でも、これってどうだろう?そんなずるがしこいメーカーの薬は、できれば使いたくないなあというのが僕の心情だ。

 

人間は弱い生き物。だから透明性が必要なんじゃないの?

いま、ネットの世界では、この「広告記事」という形について、とても活発に議論が行われている。世間には、

「記事の中身がよければいいじゃん。べつにクレジット(広告表記)がなくても」

という人が僕の想像以上にいて驚かされる。ニュースピックスにも、広告記載不要を主張するコメントがある。まじすか。そうか、いまはそういう世の中なのね。

果たして広告記載はいらないのだろうか。ぼくはそうは思わない。時代はむしろ、透明性の確保を大切にする方向に動いていると思う。

たとえば医療従事者で、「製薬企業の資金提供を受けて書かれた文章でも、資金提供を受けた事実を公表する必要なんてない」と考えている人は、いまの時代はかなり少数派だと思う。医学論文は利益相反の状況を書かなくてはいけないことになっているし、たとえば製薬会社が医師に執筆や講演を依頼をした時は(自社製品の長所を書いてもらうなど)、謝礼などを開示しなくてはいけなくなっている(※2)。

研究機関が薬の効果を調べる試験を行うときは、試験に協力した企業はいくら資金提供を受けたか公開することを法制化する動きもでている。

なぜこういう動きが出ているかというと、製薬会社と医療研究者/医療従事者の関係が不透明で、不患者にとって不利益を招くような不適切な関係が存在していたからだ(あるいはいまも存在する)。 人間は弱い動物だ。だから「透明性」というルールを作って、自分たちを律しないと、社会全体が困ることになる。これが数々の不祥事から得た貴重な(そして普遍的な)教訓だと思う。

 

信頼性や透明性なんていらないどうでもいい記事なんですか

報道系のメディアに属しているほとんどの人たちもまた、資金提供先は明記すべきだと考えているだろう。なぜなら、読者は公正中立であるという信用をその媒体から買っているわけで、中立性を疑わせることは読者を欺くことになりかねない。

「それが広告かどうかなんて表記する必要はない」

というのは、自分で自分の記事を「信頼性や透明性なんていらないどうでもいい記事ですから」と言っているようなものだと思う。

なにより、一消費者としての感覚からいえば、提供先は明示してくれたほうが親切だ。僕らは日々仕事に忙しく、すべての情報を等しく吟味し疑う時間はない。一目で広告とわかるものなら、それをちょっとは気をつけて読もうという気になる。それが読者に対する配慮ってものじゃないだろうか。

そもそも、わざわざ広告を隠す理由ってなんだろう。広告という色眼鏡で見られるのがいやだ?じゃあ、消費者にそういう色眼鏡を作らせたのはどこの誰ですか?信用ならない広告がこれだけ溢れてれば、色眼鏡で見たくなるのは当然ですよ。

「どうせ広告でしょ・・・」という色眼鏡を無くすことが、広告の後ろ指さされない未来につながると思う。

 

素敵な広告もあるよ!

最後に、さいきん見つけた傑作広告を一つ紹介したい。ちゃんと広告であることも表記されている。内容が面白いに深い。こういう広告がたくさんあったらいいな。でも、もし、これに広告であることが明記されていなかったら、きっとここで紹介することはなかっただろう。

 

 

※1 第239回 広告審査会レポート 日本OTC医薬品協会

※2 たとえばこれ医療機関等に対する資金提供の内容|大塚製薬