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ドラッグストア薬剤師とジャーナリズムが両立した

メディア

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ジャーナリズムがめちゃ危ない

今日は大切なお知らせがあるのだけど、それはいったん横に置いて、まずはひとつ自慢話をさせてくださいな。

今月号のジャーナリズム専門雑誌「journalismジャーナリズム」(朝日新聞出版)に、薬剤師であるぼくの名前(kuri)がちょっとだけ載った。

これは朝日新聞出版が発行する月刊誌で、一線で活躍するメディア人が、毎号様々なテーマでジャーナリズムを論じている雑誌だ。国内外の報道メディアの状況を知る上で役に立つ媒体なので、ぼくは数年前から定期購読している。好きな媒体に、まがりなりにも自分の名前が載ったことはうれしい。

ジャーナリズム。この言葉にどんな印象を受けるだろうか。堅苦しい?上から目線?胡散臭い?せっかくだから、ふだん皆にとって馴染みのない「ジャーナリズム」というものについて、このブログで簡単に解説したいな。

・・・と思ったのだけど、そんなことは無謀だってことに書きながら気づいたので、やっぱヤメタ。

だって、いまのジャーナリズムは、報道の最前線にいる人たちでさえ、「ジャーナリズムとは何か」「ジャーナリズムとはどうあるべきか」という問いに七転八倒している状況なのだ。

一言で表すと、”アイデンティティの危機”(自分が何者なのかを失った状態)のようなもので、とくに大手新聞、雑誌、TVで深刻だったりする。

だから、ぼくのような、始めて7か月の無名小規模ブログ(月間PV6万弱)の名前が「journalism」という知られた雑誌にちょっとでも載ったことは、じつはいまの日本のジャーナリズムの混沌した様子をよく表しているわけなのだ。

 

 名誉よりも不名誉が先行

「なんか大変なことになっているんだね、日本のジャーナリズム」と認識してくれて間違いない。むしろ、積極的にそう考えてほしい。なぜならジャーナリズムは、常に社会のために存在するからだ。何が言いたいって、他人事じゃないってことね。

なぜいまジャーナリズムの危機か。その原因は、たぶん新聞社で働く人以上に、読者たちがよくわかっている。既存の大メディアへの不信、「マスゴミ」への不満だ。

昔はどうだったか、正確なところはわからないけれど、マスメディアに対する世間の評判はもう少しマシだったんじゃないかと思う。報道には、巨悪を討つ、というイメージがあったのじゃないか。

日本のジャーナリズムを語る上で、書籍などでよく引き合いに出されるのは、田中角栄首相を失脚させた「田中角栄研究―その金脈と人脈―」(1974年、文藝春秋)と、政財界の癒着を暴いた「リクルート事件」(1988年、朝日新聞)だ。社会に大きな衝撃を与え、しかも、その記者が調べなければ決して表にでなかったであろう事実を伝える報道だった。どちらもジャーナリズムの存在意義を端的に示した報道事例である。

でも、これって30年も40年も昔の出来事だ。

近年はどうか。優れた報道は21世紀に入ってからもたくさんある。だけど、世間では「ねつ造」「偏向報道」といったメディア批判のほうがはるかに目立っている。2010年に朝日新聞が検察の証拠品改ざんをスクープしたことは、国民の生活の安全につながるジャーナリズムの輝かしい功績だとぼくは思っているのだけど、この報道をどれだけの人が覚えているだろうか。ぼくはこの記事を書くまで、すっかり忘れていましたよ。ごめんね、朝日さん。

名誉より、不名誉なことが目立っているのが現実だ。

 

アメリカと日本のメディアの差

失っているのは名誉だけじゃない。

以前から大手メディアの取材には多くのコストがかかった。でも、それはあまり問題にならなかった。メディア経営が順調で、取材費が潤沢だったのだ。

ところが、20世紀が終わり、日本の経済環境の悪化やデジタルメディアの台頭によって、新聞や雑誌メディアは従来の収益を維持することが難しくなってきた。

昨年、会社の辞令でニューヨークに留学していた朝日新聞記者の井上未雪さんは、帰国後の報告記事で、記者のコスト感覚に対する彼我の差に大きな衝撃を受けたことを書いている。井上自身さんは先輩記者から「記者はコストを考えてはいけない」と教えられてきた。「いい記事を書き、民主主義に資するためには、コストや手段を考えてはいけない」という文化が新聞社にはあるという。

では、日本よりも一足先に、デジタルメディアの波が新聞社の直撃したアメリカはどうか。井上さんはこう書いている。

米国では、ニューヨーク・タイムズなど大手メディアの大規模なレイオフワシントンポスト、数々の地方紙の倒産など老舗新聞社の買収などが珍しくない。実際、「起業家ジャーナリズムコース」で一緒に学んだ仲間には、大手メディアの見通せない展望を憂い、ウォールストリート・ジャーナルやAP通信を去った人もいた。そういう環境の中、「持続可能なジャーナリズムを維持するために、自分たちでメディアを立ち上げる力を持てるようにしよう」と作られたのがこのコースだ。

 

どうやって稼ぐ?という素朴な疑問

井上さんの話は、彼女が所属する朝日新聞だけに起きている現象ではない。井上さんがレポートで触れているタクシーについていえば、数年前に朝日以外の大手新聞社の幹部記者と話していた時、相手が、

「昔は一人で契約タクシーに乗れたのに、さいきんは相乗りで」

と話していた記憶がある(若干うろ覚えだけど)。

いまはそれなりの水準の給与を得ている記者も、将来はどこまで保証されているか不透明だ。大手新聞社から新興ネット企業へ人材が流出していることは、ぼくもよく見聞きする。

ジャーナリストが、取材コストの心配をせずに、事実だけを追う時代は今は昔だ。

ジャーナリズムは大切だ。

しかし、どうやって持続可能な収益を得る?

自分たちの給与はどうやって確保する?

他職種の人々が聞けば「いまさらそこ?」みたいな問いが、大真面目に語られている。

今月発表された、日経新聞によるフィナンシャルタイムズ買収は、激変するメディアの経営環境のなかで生き残るための攻めの戦略である。 

井上さんが所属する朝日新聞でも、2013年から「メディアラボ」という部署を立ち上げ、新しいメディアビジネスの開発に取り組んでいる。おもしろいので、ぜひご一読を。

 

 

「名誉」と「金」を取り戻すためにウェブに学ぶ

少々下品な表現をするなら、報道系メディアからは「名誉」と「金」が急速に失われているといっていい。正確性と社会的意義に優れた報道の多くが、いまだ既存のマスメディアによって支えられているにもかかわらず。

そんななかで、冒頭で紹介した雑誌「journalism」が今月号で組んだ特集「メディアはネットで稼げるか?」は、マスメディア受難の時代を象徴する企画だった。

執筆陣にはLINE元社長の森川亮さんや、スマートニュース執行役員の藤村厚夫さんなど、新興メディア界のスターと呼ばれる人たちが登場する豪華な号だった。

いまネットの世界で急成長している、「名誉」と「金」を持つメディアの人々からヒントを得よう!という企画なのだろう。13人の特集執筆陣のうち、その多くは新興メディア、ブロガー、大学教授のキーパーソンたちだ。新聞・雑誌系大手メディアの関係者は3人だけだった。

執筆陣の一人、法政大学准教授のジャーナリスト・藤代裕之さんは新聞社勤務時代から匿名でブログをしていた人で、いまはジャーナリスト教育の分野で活躍されている。その藤代さんが関係するイベント「ジャーナリズム・イノベーション・アワード」に僕が参加したことで、ぼくのブログとジャーナリズムに対する次の主張を取り上げてくれた。

「大手メディアのような同規模、同業者がやることは、似たり寄ったりになる。基本はインフォグラフィクスと、既存の取材報道の組み合わせだ。新興メディアのいくつかは、僕からみるとコンセプトが漠然としている。ジャーナリズムの持つ尖った感じも少ない」

んー、偉そうで申し訳ない(汗)。ジャーナリズム・イノベーション・アワードを主催したのは、こちら、日本ジャーナリスト教育センター。こちらもたくさんのおもしろい試みをしている。

 

世の中はジャーナリズムにあふれている

ぼくのように肩書のない者が、「ドラッグストアとジャーナリズム」を掲げて、それがどのような形であれ、“ジャーナリズム”を扱う媒体に名前がのる。 これは何を意味するか。

だぶん、ジャーナリズムという言葉の拡張なんだろうと思う。

ジャーナリズムの定義はいくつかある。最大公約数的に表現するなら、公共利益のある情報を伝えること、といっていいかもしれない。これは一般には報道機関が行う行為とイメージされている。

けれども、ぼくはブログ「ドラッグストアとジャーナリズム」をはじめて、世の中にはジャーナリズムと呼んでさしつかえのないものがたくさんあることを、肌感覚で理解することができた。

日常生活で感じた疑問をブログに綴る人たち、医学論文を読んで自分なりの意見をブログで発表する人たち、ぼくにとっては、どれもジャーナリズムを感じるに十分のものだった。

ジャーナリズムが報道機関の独占から離れつつあることを示す例はいくつもある。

今年開催された「ジャーナリズム・イノベーション・アワード」には、NHKや朝日新聞など大手メディアが出品したが、優秀賞に輝いたのは、意外なことに、首都大学東京渡邉英徳准教授が作った「台風リアルタイム・ウォッチャー」という、グーグルアースとウェブ上の一般投稿を活用したデジタル作品だった。

その渡邉准教授の受賞スピーチ。

「私はジャーナリストではないが、全国津々浦々の人たちの情報を引き出してあげるのがこれからのジャーナリズムだと思う」

渡邉准教授の発言のぼくなりに解釈すると、ジャーナリズムを実践するのは報道機関でなくてもいいし、ジャーナリストである必要もない、ということだ。

それにしてもスケールの大きな作品↓。

 

誰もが記者になれる世の中を目指したNHKアナウンサーの堀さん

NHKアナウンサーとしてお茶の間の顔だった堀潤さんは、2013年に同社を退職して、その後、8bit Newsという媒体を立ち上げた。市民に取材方法を指導して、情報の発信力を強化するのが目的だ。記者と一般市民の境界線が薄くなってきたことを表す例だろう。堀さん自身も、多方面のメディアで活躍されている。

職業ジャーナリストでない人が、ジャーナリズムを実践する。これがいま目立って起きていることだ。ジャーナリズムという言葉が、従来の意味だけでは表現しきれなくなっている。だから、ぼくのブログもジャーナリズムの一片になることができる。

もちろん、これは記者・編集者を含めた職業ジャーナリストを否定するものじゃない(職業ジャーナリストの能力ってほんとすごいんですよ)。職業ジャーナリストと、そうでない人たちでは、能力の得意不得意が異なるから棲み分けができる。

 

このブログの読者にはジャーナリズムを感じる

ぼくのブログのコンセプトは「自分にとって最適な市販薬を買おう」である。これは、目の前にある情報や、自分の中の常識を疑おうということでもある。

だから、ぼくのブログに興味を持ってくれたり、定期的に見てくれたりして、なにかしら意見を表明してくれる人は、ジャーナリズムの持ち主だと最近感じている。

ぼくのブログでは、ジャーナリズムの精神を共有する、という認識を大事にしたい。そして既存のジャーナリズムが失いつつある、「名誉」と「金」を大事にしたい。どちらもジャーナリズムを継続していくうえで欠かせないからだ。

いずれは2010年にアメリカで名誉あるジャーナリズムの賞「ピューリッツァー賞」を受賞したネットメディア「PRPUBLICA」のような媒体を、なんらかのカタチで実現することをひそかに狙っている。

大口叩きすぎ?そんなことはありません。メディアっていうのはね、世の中を変えるぞっていう意気込みでやるから、楽しいんですよ。

 

おまけとしての大切なお知らせ

最後になったけど、ここ半年ほど悩みぬいた末、ぼくは薬剤師として正式にドラッグストアに身を置くことを決めた。メディア業界に戻る選択肢もあったけど、自分の能力や時代の趨勢などを総合的に考えて薬剤師として働くことの方が魅力に感じた。ジャーナリズムを実践するのに、職業ジャーナリストである必要はない。

しばらくは、ぼくなりのやり方で時代を切り拓く仕事をしたいと思う。

新しい職場では、世の中の薬剤師の99.99%がまだやっていないにもかかわらず今後100%需要が増える、ヒミツの事業に携わる。所属先は誰もが知っている会社ですが、もちろんここで明かすわけにはいきません。

ひょっとしたら5年後くらいには、路頭に迷って飢え死にしてるかもしれません。そうならないように頑張ります。

最後まで読んでくれてありがとうございます。

これからもよろしくね。

ジャーナリズムっていうのは、社会を変えるための武器だとぼくは思います。こうした考えに興味もってくれたかたは、ツイッターとかで気軽にコンタクトください(@kuriedits)。