かくかくしかじか、悪文医療ライターKさんのこと(下)

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東村アキコさんの「かくかくしかじか」を買ってしまった。

 

出来不出来の差が激しい書き手

前回の続き。文章がヘタ(悪文)だった医療ライターKさんの話。

Kさんは数年前に50代の若さでこの世を去った。脳梗塞だった。いつも「中高年は脳梗塞に注意!」と一般向けの記事を書いている当人が、それで命を落としてしまうのだから、もう悪い冗談にしか聞こえない。

Kさんは、言っちゃ悪いが、いわゆる有能な医療ライターではなかったと思う。

「Kさんはノーベル生理学・医学賞を受賞した海外の教授を日本でいち早く取材して話題になったことがあるんだよ」

という人がいたが、ぼくはその記事をしらない。

ただ、他の書き手とはちょっと(というか、かなり)目の付け所が変わっていたことは確かだ。

Kさんの場合、ぼくのもとにくる原稿の6本に1本は頭が痛くなるような出来だった。掲載見送り、ボツ寸前のダメ記事である。「Kさん、こっこの原稿はちょっと・・・」と、ワナワナと震える声で電話をかけるハメになる。

ところが、同じくらいの確率で「これはKさんにしか書けない!」と思える秀でた記事が送られてくることがあった。それは、情報の中身というよりは、ほとんど切り口だけで勝負をしているのだけど、フシギと読後感が心地いい味わいある記事だった。一歩間違えれば没原稿になりそうなほど突拍子もないテーマなのだけど、読む人が読むと「これ良い記事だね」となる。

あのころ、編集部内では「今回のKさんの記事、読んだ?」と、いつも自然と話題に上った。

 

突然の訃報

ぼくがKさんの担当から外れると、会うのは年1,2回ほどになった。最後に話したのはいつだろう。Kさんが、写真コンクールで賞をとって、東京神楽坂のいつものレストランで昼飯をおごってくれたときだろうか。

ある秋晴れの休日、電車に乗っていると、かつての編集部の先輩からメールが来た。Kさんが脳梗塞で倒れて、そのまま亡くなったという。

人もそこそこの電車内だというのに、みるみる涙があふれて、ぼくはあわてて停車駅で降りた。仰いだ空がとても青かったことだけ覚えている。

 

通夜でぼくのしらないKさんの話

数日後、会社帰りに通夜に出た。参列者には先輩たちがいた。テレビで見るタレントもいた。

会場の二階では軽食がふるまわれていた。たまたま座った席で一緒になったのは、Kさんのかつてのライター仲間だった。Kさんと同じ世代の古参ライターたちは、ぼくが出会ったころのKさんに負けないくらいの胡散臭さが漂っていて、ちょっとたじろいだ。

ビールを注ぎながら、お互いの自己紹介もそこそこに、Kさんとの思い出を語り合った。

そこでぼくは自分の知らないKさんの姿を聞くことになった。ある男性が、Kさんが医療ライターに転身した頃の出来事を教えてくれたのだ。

「俺とKちゃんは、フリー記者で***(某週刊誌)にずっと記事を書いていたんですよ。Kちゃん、いまは医療記事専門のライターになったけど、当時は政治経済のネタをおいかけていてね」

「あのころは本当にすごかった。雑誌も勢いがあった。Kちゃんは何度も特ダネをとってきた」

そういえば、Kさんは文系の学部出身で、政治専門誌の記者としてキャリアをスタートさせていた。フリーに転身後、週刊誌でスクープを連発し、生活に困っている仲間のライターにも仕事を分け与えたという真偽不明の武勇伝は生前の本人から聞いたことがある。本当だったんだ。Kさん、ぼくマユツバで聞いてました。すいません。

 

週刊誌記者をやめて医療ライターになった

酒席、男性の話が続く。

「でね、あるとき、Kちゃんは取材で中国へ行ったんだ。健康関係の記事だった。何事もなく帰国したんだけど、ところが、それからKちゃんの様子がおかしくなった。あの温厚なKちゃんが編集長と言い争ったり、ロクに記事を書かなくなったり」

「で、オレは心配になって『いいネタ(情報)が入ったから、一緒に取材しないか』って誘ったんだ。そしたらKちゃん、『オレ、週刊誌の記者やめる』って。びっくりしたよ!当時は景気がバブルで、闇紳士がいて、オレら週刊誌記者が追う経済ネタはたくさんあった。記者としてどんどん稼げるって時期なのに、いきなり『やめる』っていうんだから」

それまで週刊誌記者としてちゃんと働いてきたのに、突然ですか?

「ああ、そうさ。だからオレは聞いたよ、『じゃあ、これからお前どうするんだ』って。そしたら『医療をやる』って。なんでだろうねえ。中国でなにかあったのか、わからないけど、『オレはもう、人を傷つける記事は書きたくねえ』とか言ってさ・・・」

思えば、ぼくはKさんから医療ライターに転身した理由を聞いたことがなかった。いや、聞いたかもしれないけど、Tさんがサラっといっただけなので記憶にないのだろう。Kさんは何事も、軽い口調で話すことが多かった。 

 

もっと聞いておけばよかったと思う

人を傷つける記事を書きたくない、なんて少女趣味なナイーブさではあるが、あの優しいKさんらしいなと、ぼくは微笑ましい気持ちになった。

Kさんはドロッドロッとした政治経済の世界から足を洗い、プチドロドロな医療の世界に飛び込んだ。そして、医療ライターとして身を立てた。

Kさんの得意分野は漢方薬だった。担当時代のぼくは、ぶっちゃけ漢方にあまり興味がなく、Kさんの記事をそれほど熱をいれて読んでいなかった。大学時代は漢方の授業が少なかったし、若くて健康だったから関心も薄かった。

でも最近、ドラッグストアの店頭に立つようになり、中年以降のお客から漢方の質問をされると、あたふたしながら「うわー、もっとKさんに色々聞いておけばよかったー」と思ったりしている。馬鹿だな、ぼくは。

 

東村アキコ「かくかくしかじか」が他人事に思えない

東村アキコさんの「かくかくしかじか」の中で、絵画の先生が何度も口にする言葉がある。「描け!」。漫画家・東村さんの背中をいまも突き動かす言葉だという。

ぼくはTさんに「書け!」といわれたことはないけれど、「書け、どんなときでも書け」という声が自分の内側から聞こえることがある。カッコつけている様に聞こえるけど、ほんとうなんですよ。

そんな風になったのは、Kさんのような、書くことが生きることだった人々に会ってきたからだと思う。Kさんはライターとしてはあまり出世しなかったけど、信念があって、優しくて、他人に誠実な人だった。そういう人をぼくは編集者として応援したい。メディア不信が叫ばれる現代だからこそ、余計に強く思う。

いつか、Kさんみたいな熱を持った人が、誇りを持って執筆できるメディアをつくりたいとぼくは考えている。このブログは、その橋頭堡にするつもりだ。

今後ともよろしくお願いします。祝、ブログ開始10か月。