『家庭の薬学』

自分に合った市販薬を選びませんか?

新型コロナで密かに起きていた市販薬の混乱のこと

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市販薬でも起きていた新型コロナのパニック

わたしでなくてもよいのだけど、わたし以外書く人がいなさそうなので書こうと思います。あ、わたし以外書く人がいないというのは、”書けない”のではなく”書くのがめんどい”という意味です。”書ける”と”書けない”の間には、いくつもの”書けるけどめんどくさい”が存在しますよね。

前回書いた日本のセルフメディケーションの失敗の続編でもあります。新型コロナ以来、「パニックになる人」の恐ろしさを何度も目の当たりにしてきました。市井の人間の一人として言わせてもらうなら、パニックの何がいけないかと言えば、それはもう他者や社会をめっちゃ傷つけるからです。自分の正義のために誰かを傷つける。これはもう戦争じゃないかなと。新型コロナのような前代未聞の緊急事態でも、できるだけパニックを起こしたくはないものです。そのためには、立ち止まって深呼吸して、なんなら後ろを振り返ることが必要なんだと思います。

というわけで、同じ過ちを少しでも繰り返さないようにとの願いを込めて、今回は、新型コロナで密かに起きた市販薬の混乱のことを書きます。

新型コロナ対応、フランスと日本の違い

今年3月、フランスの大臣が発信した衝撃的なツイートをご存知でしょうか。「イブプロフェン」や「コルチゾン」などは感染症を悪化させる可能性があるといい、代わりに「パラセタモール」と呼ばれる成分を使ってくださいとツイッターで呼びかけたのです。

イブプロフェン?パラセタモール?なんのこっちゃと思われるでしょうが、どちらも日本では『イブA』や「『タイレノールA』という製品名でフツーに市販薬として売られている解熱鎮痛成分です。日本も無関係な話ではありません。フランスのツイートに対する日本の対応はどのようなものだったでしょうか。厚労省は、18日に「薬剤師や登販とよく相談を」と審議官が説明し(日刊薬業)、24日には新型コロナウイルスの特設ページで次の見解を掲載しました(厚労省)。

新型コロナウイルスに感染した時にイブプロフェンの服用により新型コロナウイルス感染症が悪化することを示す科学的な根拠は得られていません。厚生労働省では、引き続き新しい情報を収集・分析し、今後も情報提供に努めます。

うーん、科学的根拠がない。それはわかった。それで・・・つまり?フランスの大臣は市販薬の注意をツイッターでわざわざ呼びかけた。日本の厚労省は「科学的根拠はない」というだけで対策はしない。

この温度差は一体なんなのかなあ・・・・。そんなところを出発点に、今回はフランスの市販薬事情、そして日本で起きたことを見ていきたいと思います。

「量」で見たフランスと日本の市販薬

まずフランスと日本の市販薬市場の大きさについてです。一般的に日本は諸外国よりも医療機関へのアクセスが良いので、市販薬で治そうという気持ちが薄いと考えられています。

医薬品には「医療用薬」と「市販薬」があります。両者の金額ベースの比率については、2000年頃の統計データがあるものの、資料としては古いため改めて計算してみました。米国の調査会社IQVIAの最近の世界市場調査や、各国の国内市場の調査を元にざっくり計算したのが次の数値です(STATISTA.COM)。

日本では医薬品全体の市場が約9兆円で、うち市販薬は7%の7000億円。フランスでは全体4兆円で、うち市販薬は6%の2500億円です。ちなみにアメリカは全体50兆円、市販薬は5%の2.5兆円です。この結果は個人的には非常に意外でした。調査方法によって大きく変化する数字もあるものの、日本もフランスも、市場の金額ベースでは市販薬が占める比率はさほど変わらないのかもしれません。もっとも、受診頻度などではまた別の結果が予想されますので、よりしっかりした横断的な調査が欲しいところです。

「質」で見たフランスと日本の違い

では、「質」の部分ではどうでしょうか。結論からいうと、フランスと日本の市販薬にはかなり大きな違いがあります。

日本と比較したフランスの特徴は、効果の高い薬が処方箋なしで入手できることです。典型的なのはパラセタモール(アセトアミノフェン)です。誤解を避けるために具体的な数値は伏せますが、フランスで市販されているパラセタモール(アセトアミノフェン)は、日本の病院薬並みの量を服用することができます。これは、日本の市販薬よりもはるかに多い量です。また、イブプロフェンも日本の市販薬よりも、かなり多くの量を服用することができます(フランスの市販薬には、Actifed Etats grippaux 10 sachetsRHINADVIL RHUME IBUPROFENE/PSEUDOEPHEDRINEなどがあり、公的サイトではないが参考までにpharma GDDで検索ができる)。

効き目の高い市販薬の問題点

効果の高い薬が処方箋なしで入手できるフランスですが、万事うまく言っているとは言い難いようです。フランスでは市販薬による健康被害が問題になっています。

センセーショナルだったのは2017年に起きた悲劇です。弱冠22歳の女性が腹痛を訴え救急サービスに連絡したものの、オペレーターがまともに取り合わずに数時間後に亡くなる事故が起きました。フランスの代表的な新聞「Le Figaro」によれば、検死の結果、死因は鎮痛薬のパラセタモールを服用したことに関連する肝臓障害でした。パラセタモールは大量摂取によって肝臓に深刻な障害を引き起こすことが知られています。フランス当局によれば、同国はヨーロッパ最大のパラセモール消費国であり、パラセタモールは薬が原因の肝臓移植の中で最大の原因薬剤となっています(ANSM)。年間1200件の肝臓移植のうち100件はパラセタモールによる肝障害が関与しているともいわれています(Le Point sante)。 

フランス流の規制強化

パラセタモール(アセトアミノフェン)は世界中で最もよく使われる痛み止めの一つです。医師の管理のもとで服用する分には大きな問題にはなりません。しかし、自己流での服用は命を脅かしかねないリスクを伴います。

フランスで問題視されている健康被害はパラセタモールだけではありません。イブプロフェンに代表されるNSAIDと呼ばれる痛み止めのタイプは、感染症を悪化させる可能性が以前から指摘されていました。フランス当局は2000年以降の症例を調査した結果、感染症に対してNSAIDS(イブプロフェンなどのこと)を使用した場合に症状が悪化する可能性があると結論づけました(ANSM)。そして始まったのが今年2020年1月15日からの新しい販売規制です(ANSM)。それまで消費者が店頭で自由に手に取ることができたパラセタモールやイブプロフェンを、薬剤師のカウンターの後ろに置くことにしたのです。これにより、消費者が薬剤師とコミュニケーションをした上で薬を購入することになりました。

こうした規制強化の延長線上に起きたのが、世界中を騒がした大臣のツイートです。3月14日、保健大臣で精神科医のオリヴィエ・ヴェラン氏が自身のツイッターで、 「抗炎症薬(イブプロフェン、コルチゾン...)の服用は、感染症の悪化の一因となることがあります。熱がある場合はパラセタモールを服用してください」 と発言しました。イブプロフェンの売上高は、ツイート後に67.8%減少しました(INDUSTRIE PHARMA)。

日仏の市販薬の売り方の違い

フランスでは2020年からイブプロフェンなどが薬剤師のカウンターの後ろに配置されるようになりました。薬剤師の介入を必須化する販売システムは、一般にbehind-the-counter(BTC)と呼ばれています(Behind-the-Counter Drug Access)。BTCは医師の診察を受けることなく薬局やドラッグストアで薬を入手できるようにするものです。多くの市販薬との違いは、専門家の介入がなければ入手ができない点です。BTC型の販売方法は珍しいものではありません。日本の市販薬には薬剤師が介入して販売する「第一類医薬品(あるいは要指導医薬品)」というカテゴリーがあります。例えば鎮痛薬と一口にいっても、ロキソニンは第一類医薬品なので薬剤師がいなくては購入できませんし、第一類医薬品ではないイブプロフェンやアセトアミノフェンは、薬剤師がいなくても購入できます。

つまり、日仏の差は次のように整理することができます。アセトアミノフェンとイブプロフェンは、フランスでも日本でも市販されている。フランスは1度に服用できる量が多く、副作用リスクが高い。そのため、購入時には必ず薬剤師がいなくてはいけない。日本は1度の服用量が少なく、それゆえ副作用リスクが低いと”考えている”。そのため、専門家の介入することなく購入できる”ようにしている”。これが日本とフランスの違いです。

「ホットケーキ」のように売られている薬たち

フランスが規制強化に踏み切る前の昨年12月、公共ラジオメディア「フランス・インター」はフランス国内の状況を「アスピリン、パラセタモール、イブプロフェンの錠剤がドラッグストアでホットケーキのように売られています」と皮肉交じりに伝えました。今となっては日本は笑える状況ではないでしょう。ドラッグストアで自由に手に取り高校生スタッフにレジ会計してもらう、日本の市販薬の方がよほどホットケーキに近い商品です。しかし、当然ながら、市販薬はホットケーキではありません。

世界各国の公的機関の対応

フランスの注意喚起は、世界各国でどう受け止められたのでしょうか。日本の厚労省は「科学的な根拠は得られていません」と述べるに止まり、参考として海外の公的機関の発表のリンクを貼りました。

世界保健機関(WHO)は、エビデンスは十分ではないとしています(2020.3.19)。米国食品医薬品局(FDA)もエビデンスは認められないとした上で、不安であれば医療専門家に相談し、薬の説明書をよく読めば安全であるとアナウンスしています(2020.3.19)。欧州医薬品庁(EMA)は今の所科学的根拠は確立されていないが調査中としています。(2020.3.18)。

日本国内では感染症専門医の忽那賢志医師が3月16日にウェブメディア「ヤフー個人」で、医学的見地から丁寧な解説をしています。感染症全般に関するNSAIDsの使用についてはすでに否定的な報告が多くあり、「新型コロナウイルスに特化したエビデンスは今のところなく仮説のみですが、感染症全般で考えれば確かにNSAIDsには有害な報告が多いと言えます」と述べています。

ランセットに掲載された仮説

イブプロフェン危険説の根拠はいくつかあります。一つは、イブプロフェンのような解熱鎮痛剤は新型コロナに限らず感染症全般に悪影響を与えるケースがありそうだ(必ず与えるわけではない)と従来から指摘されていること。フランスでは新型コロナの重傷者がイブプロフェンを飲んでいたという現地報道があること。そして、3月に医学雑誌のランセット(短報)に、イブプロフェンなどが新型コロナ感染に影響する可能性を示唆する記述があることです(PMID:32171062)。

いずれの理由ももっともそうに聞こえますが、学術的にはさほど強い根拠とはいえません。医療においてはよくある「勘違い」や「仮説」の域を出ていないからです。特に3つ目のランセットの報告は、「高血圧や糖尿病患者は新型コロナの感染リスクが高いか?」というものであり、イプブロフェンを直接的に検討したものではありません。新型コロナの感染に関与するアンジオテンシン変換酵素2(ACE2)という体内の物質と、高血圧や糖尿病患者の関係を解説したものです。その中で、「ACE2はイブプロフェンでも増える(ACE2 can also be increased by chiazolizinediones and ibuprofen)」とわずかに一言登場しているだけです。

解熱鎮痛薬が悪影響を与える可能性は無視してよいわけではありませんが、しかし、その影響はかなり限定的であるというのが、現在の一般的な見方でしょう。WHOは3月19日、ツイッターの公式アカウントで「イプブロフェンを控えることは推奨しない」と発表しています。

日本のドラッグストアの異変

フランスのツイートに対する医療専門家や公的機関の反応は一様に慎重でした。それとは対照的だったのが、市民社会の反応です。話を日本に戻しますと、コロナウイルスによる死者が世界的に増え続ける2020年3月中旬、マスクや消毒薬の需要増で混乱状態の日本のドラッグストアにまた一つの異変が起きました。痛み止め薬が急激に売れ始めたのです。それも、今までほとんど売れていなかった「タイレノールA」が、集中的に買われ始め、多くの店の棚から姿を消しました。5月現在も、タイレノールは私の周りでは在庫のあるドラッグストアは一軒もありません。

政府批判の疑心ツイート

フランス発の情報は、日本のツイッター上でも取り上げられました。3月16日、フォロワー数4万人を超える匿名アカウントが発した次のツイートには、7万いいねがつきました(同月21日時点)。

「大事なツイートをしておきます。 日本政府は言いそうもないので。 コロナに関して、フランスで重症になり入院をしている若い人達はいずれも風邪薬としてイブプロフェンを含む薬を飲んでいました。 フランスの健康省は、それの危険を発表し、使うなと報道で徹底させています」

また、元厚生労働大臣の舛添要一氏は3月15日に、

「日本の市販の風邪薬のいくつかには、新型肺炎を悪化させるイブプロフェンが含まれている。発熱がある場合は、パラセタモールやアセトアミノフェンを使うようにというのがフランス厚生省の指示である。症例研究の上での指示。なぜ日本の厚労省はこのような指示を出さないのか。製薬業界への配慮なのか」

とツイートしました。

いずれもショッキングなツイート表現ですが、薬の専門知識を持つ者であれば、「イブプロフェンの危険性を隠しているのは企業への配慮だ」などとは考えないでしょう。こうした推測の社会的意義を丸ごと否定するつもりはありませんが、猜疑心を掻き立てない配慮も必要だと思います。その意味では、個人的にはとても残念なツイートでした。

ツイートされた薬だけがたくさん売れる

別のアカウントでは、新型コロナでも使える市販薬を紹介しました。「アセトアミノフェンを使っている市販薬」としてセデスやノーシンを紹介するツイートが複数出回り、多くのリツイートがされていました。

しかし、そうしたツイートで紹介されていたセデスやノーシンはアセトアミフェンだけで出来ているわけではなく、別の解熱鎮痛成分も含まれています。しかも、それらは「エヌセイズ(NSAIDS)」と呼ばれる成分で、新型コロナには不適切とされているイブプロフェンと同じ種類なのです。厳密には少しタイプが違うのですが、イブプロフェンでなければ大丈夫などという考えは医療従事者の間では一般的ではありません。

アセトアミノフェンだけでできた痛み止め製品はいくつかあります。にもかからず、消費はネット上で紹介されたタイレノールAとバファリンルナJに集中しました。

生理痛でもロキソニンを我慢する?

ツイッター上で「コロナ イプブロフェン」で検索すると多くの関連ツイートを見つけることができます。そのなかには、生理痛が辛いのでロキソニンを飲みたいけどコロナには危険だから避けているというツイートもあります。

実際わたしも店頭で、生理痛目的でロキソニンを購入する女性客から「コロナには飲まないほうがいいって聞いたんですけど、この薬は大丈夫ですか?」と聞かれたことがあります。フランスの情報に接して、アセトアミノフェン以外の痛み止めを我慢している人もいるのでしょう。フランスの市販薬事情や、各国の公的情報を総合して考えれば、イブプロフェンの危険度はかなり限定的であると考えられます。少なくとも生理痛目的の使用であれば「アセトアミノフェンがなくて大変!どうしよう!」とパニックになるような状態ではありません。

専門家不在のセルフメディケーション

新型コロナと市販薬をめぐる混乱を振り返り、わたし達はいくつかの仮説とそれに基づく教訓を挙げることができます。一つは、消費者が普段から市販薬情報に無関心で無防備であることです。そのために、「市販薬でコロナが悪化」というあまりに衝撃的な情報に触れて、冷静さと慎重さを失ってしまった可能性があります。ふってわいたような恐ろしい情報は、それまで市販薬に関心のなかった日本の消費者の不安を掻き立てるのには十分でした。

また、多くの消費者にとって大切だったのは「成分」ではなく、「ネットなどで紹介されていた安全に飲める薬」だった可能性もあります。需要が特定の商品に偏ったことはその理由です。そして、こうした実態にそぐわない情報を修正する専門家等からの情報発信の量は乏しいものでした。これはわたしのような立場の責任でもあるのかもしれません。

 

<本記事で紹介したフランスの情報は、すべてフランス語をDeepLもしくはみらい翻訳による翻訳に基づくものです>