『家庭の薬学』

自分に合った市販薬を選びませんか?

虫除け界の革命児イカリジンの不遇

8月に入った。梅雨が明け、夏が来る。蚊も来る。

<イカリジン>という言葉を、わたしが初めて聞いたのはいつだったか。そう昔のことではない。初めて聞いた時に、頭をよぎったのは港の錨(イカリ)か、海のイカだったと思う。実際は全然関係がなかった。虫除け成分だった。しかも、とんでもなく優秀な虫除けだった。

イカリジンはドラッグストアで売られている。その名を初めて知ったのはそう昔ではないと書いたが、一応、理由がある。虫除け成分として日本で発売されたのは、つい最近2016年のこと。それまでは、人体に使える虫除け成分といえば<ディート>という別の成分だった。しかし、今日、イカリジンの評価は極めて高い。ディートをしのぐといってもいい

ディートとイカリジンの研究は多い。効果の差を検証したマレーシアの実験がおもしろい。

この実験では薬を塗った人間を蚊に刺させて、その効果を見ている。ボランティア参加者たちの右腕右足、左腕左足だけを露出させ、それ以外の部分は服や靴で隠す。肌を露出させた部分にディートとイカリジンを別々に塗る。そして、村の屋外、居住区、大学の森林保護区の3箇所に参加者を置き、昼と夜でどれだけ蚊に襲われるかを数える。2000年に報告されたちょっぴり鬼畜なこの論文では、ディートとイカリジンで効果はあまり変わらず、濃度が近ければむしろイカリジンの方が持続効果が高いといえそうなデータが得られている (PMID: 11081653)。

「『濃度の高いほうが、効果が高い』と思われるかもしれませんが、実は蚊の忌避効果に違いはありません。濃度の高いほうが、持続時間が長いということです」

と日本防疫殺虫剤協会技術委員の足立雅也氏は言う(※1)。厚労省の見解では、ディートの持続時間は30%濃度で5〜8時間、イカリジンは15%濃度で6〜8時間だ(※2)。ディート30%とイカリジン15%であれば、効果にそれほど大きな差はない。これが今日の一般的な見方だろう。

だが、優劣がはっきりしていることもある。

 今わたしの手元には、ディート30%の「サラテクトミスト リッチリッチ30」とイカリジン15%の「天使のスキンベープミスト プレミアム」がある。試しに腕に吹きかける。匂いを嗅ぐ。ディートは酸っぱいような刺激臭。イカリジンも多少の匂いはあるが、ディートほどはきつくない。今度は首にひと吹き。ディートは刺激があり、少しむせてしまった。

イカリジンはディートよりも使いやすい。ディートには6ヶ月未満の乳児は使えないという年齢制限や使用回数制限があるが、イカリジンには制限がないので小さな子供にも使える。ディートのような独特の匂いもない(※3)。大人が使う場合でも、ストッキングやスポーツウェアなどに使われるポリウレタン系の素材を傷めるディートとちがって、イカリジンは5%濃度なら服を傷めずスプレーできる。宣伝風にいえば、”人にも服にも優しい”。

イカリジン登場のきっかけは2014年の夏に日本で騒がれたデング熱だった。蚊を媒介する感染症のデング熱の感染者が、国内で70年ぶりに確認された。感染者は都内に住む18歳の女子高生。代々木公園の蚊に刺されて感染したと見られた。2ヶ月間で感染者数は160名まで拡大(国立感染研究所)。より強力な虫除け剤の開発の機運が高まり、すでに海外で多くの実績のあるイカリジンが選ばれた(同時に既存品のディートにも高濃度の30%が登場した)。

いまドラッグストアにある人用虫除けスプレーの代表といえばディートかイカリジンかだ。ディートは12%以上の濃度で<医薬品>で、イカリジンは<防除用医薬部外品>。医薬部外品は、医薬品よりも効果が劣ると見られがちだが、イカリジンはそうではない。

もちろん、イカリジンもいいことづくめではない。防御できる虫の種類が少ない。今のところイカリジンが防御に使える害虫は、蚊・マダニ・ブユ・アブであるが、ディートはこれに加えてノミやトコジラミ、イエダニ、サシバエ、ツツガムシ対策にも使える。普段使いの蚊除けであればイカリジン、キャンプや海外旅行などにはディートを検討したい

それを差し引いてもイカリジンは優れている。日本で発売されて今年で5年。効果は優秀、有能、革命児。だが、知名度が高いとはいえない。医薬品ではないからか。不遇かもしれない。イカリジンの名、もっと知られていい。

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※1 蚊の虫よけ剤、濃度で違う プロが教える賢い使い分け|ヘルスUP|NIKKEI STYLE

※2 防除用医薬品及び防除用医薬部外品の製造販売承認申請に係る手続きに関する質疑応答集(Q&A)について 

https://www.pref.ehime.jp/h25300/tsuuchishuu/seizou/documents/280628-jimu.pdf

イカリジン審査報告書

https://www.pmda.go.jp/quasi_drugs/2015/Q20150615002/400092000_22700DZX00374000_Q100_1.pdf

 

※3 大日本除虫菊株式会社 中央研究所

https://server45.joeswebhosting.net/~js4308/insecticide/proc/2017_88.pdf