『家庭の薬学』

自分に合った市販薬を選びませんか?

市販薬の不適切使用の規制と、禁酒法時代の酒と薬について【2022/7/4~7/8のニュース】

ここのところ、市販薬の不正使用に関する報道が続いています。私が見たのは2つの報道で、その2つに共通しているのは、「規制よりもサポートを」というメディアの主張あるいは強調でした。

市販薬の過剰摂取、若者で深刻 「規制より相談体制を」: 日本経済新聞

サポートが重要だということは確かです。でも「サポートが大事」だと言って、それでちょっと問題解決した気になっていませんか?というのが、現場にいる私の気持ちです。そこで、

「私、すごーく不思議なんですけど、市販薬乱用の報道って、いつも「無理やりやめさせるのではなく、周囲の受けとめとサポートが大事」という主張になるんですよね。市販薬の成分や売り方に問題があるという話には、大抵ならないんです。」

というツイートをしたところ、複数の賛否をいただきましたので紹介します。コメントいただきました方々、ありがとうございます。いちおう、最初にお伝えしておきますと、私は、サポートと規制は両方すべきという、おそらく多くの方々が考えているであろう意見と同じ立場です。また、大前提として、不適切使用者を、犯罪者を見るような目で見てはいけないということも、承知しているつもりです。感情の問題は他国でも課題となっており、米国のNIHは、薬物依存に関する用語のガイドライン(2021.11)で、患者への偏見を取り除くために、例えばabuseは否定的判断や罰則と強く結びつく言葉なので、代わりにmisuseを用いることなどを推奨しています。

Words Matter - Terms to Use and Avoid When Talking About Addiction | National Institute on Drug Abuse (NIDA)

 

それでは、以下いただいたコメントを順不同でご紹介します。

「禁酒法から学んでほしい。ただ規制を強めたら、人は他のもっと危険なものに移行する」

「禁酒法で学んでほしい」

「強いニーズがある以上、依存するモノが変わるだけな気がします。 サポートするのではなく「反社会的な行動」と位置付けてしまうと、解決から遠のいてしまうのでは…」

「問題視されていますし、一人一瓶とか制限しています。既に取り組んでいるからそういった話になりません。 念書を書かせようが店舗のハシゴは把握できません。 マイナンバーカード必須で買い物履歴を把握してぜったいに買えないようにする位の制限をできるなら別でしょうが…現行法ではできませんね」

「クリさんがそのように考えるのが逆にとても不思議です。私は一時期、ODしてる学生さんのツイートをずっと読みながら、どうしたら彼女がODの悪循環から抜け出せるか考えていました。「周囲の受けとめとサポート」は、販売規制などよりも正解に近いのではないかと思っています。。」

「違うかもしれないんですが「周囲の受け止めとサポートが大事」って言っておけば責任の所在があやふやになるからじゃないでしょうか? 成分と売り方に問題がある→制度を変えないといけない→それはしんどいよね みたいな。」

「ほんとそれ。 せき止めはコデインじゃないといけない理由とかあるのかしらん?」

「スポンサー?」

「両方の側面からのアプローチが大切だと感じました!!」

「販売規制のシステムもかなり重要だと思う。サポートがいらないとは思わないけど、乱用になってしまうわないようにする事も大事と思うし。」

「市販薬の乱用て難しいよね 市販薬もお薬手帳に記録残すの 義務化すればいいのに それが無理ならマイナンバーカードと紐付けするとか 売る側は気付きたくても 気づけないよね なぜならそれ目的の人はいくらでも 誤魔化してくるから。」

「某薬のことだと思うんですけど、散々SNSで名前が出てて界隈の人達は当たり前に知ってる薬がフツーに買えちゃうのこわい。」

「あくまで超個人的な見解ですが、一言で言えば『面倒』なんだと思います。 法律を改正すれば企業との間で利益相反が生まれますし、そっちより専門家に丸投げする方が楽なんだろうな、と。」

「これは、買う側の「購入の自由を妨げるな」と 売る側の「売りにくくするのやめろ」という 双方の利害が一致した結果なのでは・・・ と思ってます。 『自己責任』が悪い意味で独り歩きしてる (そういうの、かなり多い)」

「あくまでも私見です。 現在ドラッグストアで 一部の『第二類』市販薬に購入制限が入るようになりました。 該当商品を購入したら 約一ヶ月の期間を空けないと『別の店でも』購入不可、という規制です。 現規制が成り立つ背景は あくまでも購入者の良心による「自己申告制」であり 課題も多いかと」

「非常に個人的な意見ですが、購入時はマイナンバーカードを提示。一定の市販薬購入量を超えたら警告が出るシステムとかできないでしょうか?さらにしょうもない処方薬はガンガンOTCにすれば支払基金の負担も減るでしょうし。」

「メディアは、 「市販薬の乱用問題は心配だ。もっとも、販売規制について言及するほど気にしている訳でもないが」 とハッキリ言えばいいんですよ。 意図を偽るよりは、その方が誠実です。」

「ほんと、蒟蒻ゼリーやライターは規制したのになぜ薬は問題にならないのだろう(・_・?) 管轄している省庁の取り組み方の違いかな?」

「なぜかというと端からガチガチにしたら成分濃縮したり怪しげな成分を含んだ亜種をブローカから買うことになるから。またそうなると法的にグレー/黒になるので医師に相談して適切な治療を受けることも難しくなってしまう。 大麻禁止等々はこれを素でやってるわけです。 飛躍だと思いました?違いますよ」

「本当にそれすぎる。コデインのシロップ剤って医学的に必要なの?パブロン44包3箱セットも必要?作るメーカーも、大量に売るネットや販売店も、規制できない厚労省もどうなん???乱用医薬品という曖昧な規制ではなく、こういう薬こそ要指導医薬品にすべきでは?」

なお、米国薬剤師からは次のコメントがあり、このブログでも何度か言及している通り、私もこれに賛成です。

「アメリカはまさにこのシステムで、一部の市販薬購入時には免許証裏面のバーコードのスキャンが必須です。 すると購入商品の含有量が計算され、1日最大量3.6g, 1ヶ月最大量9gなど上限に達すると自動的にレジで該当商品が販売できなくなります。店を変えても州を越えても国内にいる限り情報共有されます。アメリカでこんな簡単にやってることが日本で技術的に出来ないはずがないと思うので、おそらく技術面の問題ではなく本気で解決すべき、誰にでも起こり得る問題だという意識がないのかなという気が..」

 

さて、いただいた上記のご意見とリアクションたちは、主に次の3つに分類できました。

①規制すると状況は悪くなる(規制に消極的)

②経済的な理由が背景にある

③規制すべき

ツイッターという媒体の性質上、お互いの真意が掴みにくいという前提はあるものの、規制に対して消極的な意見が上がったことは、意外でありました。 「規制すればいいってものではないでしょう」というのは、市販薬業界の外にいる人から見た際の率直な感想なのかもしれません。

また、「個人的な意見ですが」という前置きも複数のツイートで見られたことも、興味深かい点です。これは、依存者という患者がいること、そして詳しい状況がわからない中で不用意な発言はできないという慎重な自覚の表れであるように思います。つまり、この問題は複雑で、誰もが気軽に意見を言える話題ではない、ということを示唆しているように思います。 そしてこの問題の複雑さが、メディアが市販薬の依存問題を、すぐに「サポートが重要」「規制は根本解決にはならない」という比較的わかりやすくかつ正論な結論に着地させ、規制のあり方そのものに深くフォーカスしない現在の報道を招いているのではないかと感じます。

さて、今回いただいたツイートの中で、禁酒法を引用するご意見がありました。そこで、今回は禁酒法についてだけ、簡単に触れておきたいと思います。

禁酒法とは、1920年からアメリカで実施された、お酒を禁止する法律のことです。この法律は当初は歓迎を持って迎えられたものの、いざ施行してみると様々な社会問題を引き起こしたことで、13年後に廃止されました。社会を良くするために国がお酒を禁止した結果、社会はむしろ悪くなった、規制は逆効果を生む、というような文脈でしばしば引き合いに出される、社会実験の古典的な逸話です。

では、禁酒法で起きたことは、市販薬でも起きうるのでしょうか。 禁酒法については、アメリカ史が専門の岡本勝広島大学助教授(当時)が複数の書籍を書いています。そのうちの一冊『禁酒法 「酒のない社会」の実験』よると、世間で言われる「禁酒法=徹底した規制をしたことによる失敗」にはいくつかの誤解があるとされています。私の理解でまとめると、以下の通りです。詳細は書籍をご確認ください。

・禁酒法で禁止したものは「飲用目的で製造、販売、運搬、輸出、輸入する」ことだった。つまり飲酒自体は認められていた

・禁酒法は政治的妥協の産物であり、様々な抜け道があった

・禁酒法は飲酒の撲滅を目的したものではなく、酒場の淘汰(酒場が政治的な権力を持っていた)や労働者の飲酒量を減らすと言った目的の上にできた政治的な産物

・禁酒法によって、取り締まる側の腐敗や、犯罪集団が登場と言った新たな問題が生まれたことは事実だが、禁酒法によって国民の飲酒量はほぼ半分に減った

・禁酒法が目的とした酒場の淘汰や労働者の飲酒量を減らすという目的は達成されたという意味では、失敗とは言い切れない

禁酒法と現代の市販薬の規制を語る上で押さえておきたいことは、両者を取り巻く状況にはけっこう大きな差異があるということです。例えば、禁酒法は1900年代初頭のアメリカ国内の政治・経済情勢と深く関わっており、現代の日本の環境とは当然異なります。あるいは、禁酒法は、お酒という国民に広く利用されている嗜好品を規制したものであり、市販薬(特に乱用・依存成分)は嗜好品として国民に認知されているわけではないという点も、無視はできないでしょう。

例えば上記の書籍には、禁酒法後に生じた不正の一例として、医療現場の状況が次のように紹介されています。

「協会で使われるワインと、医療用アルコールの製造もまた、ヴォルステッド法では認められたため、これらを口実にした不正使用が日常的に行われた。特に、後者を隠れ蓑にした使用が問題になった」

当時は、アルコール度の低い蒸留酒は、アルコール依存症の治療薬としても使用されていました。そこで、治療という名目で酒を入手する人が増えたというのです。

「この時代、医師による処方箋の数は激増し、例えばシカゴでは1920年に約50万件の蒸留酒使用を認める書類が医師によって書かれたが、この半分が医療とはまったく関係ない目的だった。また「患者」によって、特に好まれたのがビールで、低下した胃腸の消化機能回復を名目に、処方箋が乱発された」

今の日本で市販薬を規制したとして、医師による不正処方が増えるでしょうか。現実的にそんなことは起きると考える人は、ほとんどいないでしょう。

もちろん、禁酒法から得られる教訓もありますし、教訓の一部は、現代においても再現性があるかもしれません。例えば、「大衆にとっての嗜好品を禁止すると、消費量は減るが、新たな不正や犯罪を生み出す懸念が生じる」ということは言えそうです。でも、これはお酒の話です。市販薬の話ではありません。1世紀近く前の、海外の、単一の社会的実験の結果を理由に、今日の日本国内の規制に反対することは、やや無理があるのではないかと考えています。