「零売」と呼ばれる、処方箋なしで病院の薬が買える制度をめぐり、思いがけない騒動が勃発しました。零売制度を、厚労省が通知だけで規制をしているとして、その違法性を問う行政訴訟を薬剤師が起こすことになったのです。東京2社、福岡1社の計3社が原告として1月9日付で発表しました。
病院の薬が買いやすくなる「零売」は、生活者にとっては便利な制度です。いっぽう、当の薬剤師の間では、常に総論賛成各論反対で賛否両論になるテーマ。その理由には、企業の論理と、薬剤師ごとの「立ち位置の違い」があります。
もともと零売は、個人の小さな薬局が、あまり目立たずにやっているようなサービスでした。局地的でニッチなサービスだった理由は、行政が後ろ向きだったことや、市場が小さいこと、薬局としてあえておこなうメリットが少なかったことなど複数あります。
薬局以外の医療業界からみても、あまり歓迎されるものではありませんでした。処方箋なしで薬局で薬が販売できると、病院に受診する人は減ります。病院側にとってはメリットよりもデメリットの方が多いシステムです。
零売はやろうと思えばできる。職能も発揮できる。喜んでくれる生活者もいる。しかし、いままで自分達がやってきたことを変えてまで取り組むメリットはない。そんな内向きの業界論理のなかで、零売は公然の秘密のような、透明な巨像のような存在だったように思います。代わりに、大手のドラッグストアや薬局は、既存の市販薬の販売に力を入れることで、生活者のニーズに応えてきました。
ところが、あるときから、零売というサービスをウリにした「零売薬局」というジャンルが表舞台に登場しました。それまで目立たなく活動していた零売は一転、零売薬局の社長がメディアで持論を語るような時代になったのです。その姿は、保守的な薬局業界に舞い降りたキラキラしたスタートアップのようでした。
零売という言葉が一般メディアでも使われるようになったころ、私は某大手企業内で、事業本部長から「会社として零売に参入するのはどうか」と意見を求められたことがあります。私は「将来は参入してもよいが、今ではない」と話しました。今後規制が強まる可能性が高いので参入リスクが高いと説明しましたが(実際その後、規制は強化されたわけですが)、心の底ではガバナンスが利きにくい事業で、自社がやるのはシンプルに世の中のためにならなさそうだな、という本音もありました。
そもそも零売は、限定的な条件でのみ発動される特殊な販売形態、というのが一般的な理解です。少なくとも厚労省はそのような運用を期待しています。であるならば、国から資格付与された薬剤師という立場としては、国の方針に従うのが筋であるという考え方もあるでしょう。
零売薬局の薬のプロモーションを見ていると、大手ドラッグストア以上に、”売らんかな”精神が見え隠れする薬局もあります。「零売で健康被害が起きるのではないか」。そんな懸念も業界内にはあります。
薬局全体でみると、零売をおこなっている薬局は少数です。私が知る限りでは、大手ドラッグストアや大手チェーン薬局は、基本的に零売には消極的で、社内で禁止している企業もあります。ただ、多くの大手企業が参入しない最大の理由はなにかといえば、結局のところは、「自社の既存事業にとって都合が悪いから」ではないかと推察しています。もし、零売が公に認められると、いままでやってきた努力は、水の泡とまではいかないまでにしても、大きな方向転換を迫られることになります。
とある零売薬局では、病院でよく処方される解熱鎮痛成分アセトアミノフェン500mgが10錠400円ほどで販売されています。ドラッグストアで販売されている製品は、成分量はこれよりも少なく、それでいて価格は倍です。いったい、誰がドラッグストアで買うのでしょうか。
厚労省の規制を訴えた今回の行政訴訟は、零売議論に撹乱を迫るものになりそうです。