『家庭の薬学』

自分に合った市販薬を選びませんか?

ヘルスリテラシーってなんだろう?【2023/7/17~7/21のニュース】

今週の新商品ニュースはありません。というわけで、今日は、市販薬以外の話を書くことにしました。

突然ですが、「ヘルスリテラシー」という言葉をご存知でしょうか。リテラシーとは識字能力のことで、ヘルスリテラシーは、健康情報に詳しいとか疎いとか、そんな意味で使われます。ただし、色々な健康情報は知っていても誤った情報と正確な情報の見分けがついていない状態は、リテラシーが高いとはいえません。

「ヘルスリテラシーが足りない」という言葉を時々見かけます。私はヘルスリテラシーという言葉は、個人的に「専門家の上から目線感」が感じられて使わないようにしています。あくまで私個人がです。ネガティブな感じを持たない人もいると思いますので使う人を否定はしません。

そんな私が、先日、プレーンな意味でヘルスリテラシーが必要かなあと感じることがありました。その出来事は今回は述べませんが、そのことをきっかけに、ヘルスリテラシーはどうやると高まるのでしょう?ということを少し考えてみました。

書籍『ヘルスリテラシー』(福田洋、江口泰正編著)によると、ヘルスリテラシーは1990年代以降に研究が盛んになった分野です。2015年のある調査では、日本人のヘルスリテラシーはヨーロッパよりも低かったと報告されています。特に差が大きかったのは、「病気になったときに相談先を見つける」「医師から言われたことを理解する」「必要な検診の種類を判断する」などでした。

本書によれば、Nutbeamさんというシドニー大学の教授はリテラシーを、次の3つのレベルで表現しています。

基本的・機能的リテラシー:読み書きの基本的なスキル

伝達的・相互作用的リテラシー:コミュニケーションによって情報を入手したり、変化する環境に対して新しい情報を適用できるスキル

批判的リテラシー:情報を批判的に分析し、日常の出来事や状況をコントロールするために活用できるスキル

ここでのポイントは、リテラシーにはいくつかの性質があることです。私たちが「ヘルスリテラシーを高めよう」と勇ましい言葉を口にしたところで、よくよく見ると、どのレベルのリテラシーが足りないのかによって、対策は異なってきます。

たとえば、ツイッターやテレビ番組で情報を積極的に収集する人は、伝達的・相互作用的リテラシーはありそうです。しかし、得た情報を鵜呑みにしている場合は、批判的リテラシーは十分ではないといえます。

こうしてみると、リテラシーとは、知識の量を問う概念ではなく、知識の扱い方についてのスキルであるといえそうです。少なくとも、私の理解では。

そうなると、知識はどのように扱い、どんなふうに伝えればいいのか、という疑問も出てきます。

ここ数年を振り返れば、この疑問がいかに切実な課題であるかが思い出されることでしょう。新型コロナの感染拡大下で、多くの専門家と、非専門家の間で、公衆衛生上のコミュニケーションの齟齬が生まれました。

そうしたなかで、東大でヘルスコミュニケーション学を研究している奥原剛准教授が「行動変容のためのヘルスコミュニケーション —COVID-19 の教訓—」と題して、興味深い行動変容の提案をしています。奥野准教授が指摘するのは、「知識偏重のメッセージ」です。「欠如モデル」と呼ばれる古典的なコミュニケーション方法は「市民の知識の欠如を埋めれば, 市民は専門家の言うことを受け入れるはず」と考えます。勤勉で知識豊富な人は、ついこのように考えてしまうことがあります。しかし、知識を与えるだけでは行動変容は起きないということは、新型コロナ感染拡大以前から指摘されてきました。「ヘルスリテラシーが低い」といった表現に私がうっすら感じた「専門家の上から目線」も、この欠如モデルによるものです。

奥野准教授が指摘する別の課題は、「知の呪縛」です。知識があるゆえに、知識のない状態が想像できなくなることです。気持ちがわからないというものです。これも、専門家による一方的なメッセージ発信になってしまう原因になります。

奥原准教授の提言は、この分野に興味がある人にとってはとても役立つ内容になっていると思いますので、ご一読をお勧めします。

話が長くなってきましたので、そろそろ終わります。コミュニケーションの理論は研究が進んでおり、家庭医療の分野では「PCCM」「SDH」といった概念を用いて解説されています。ツイッター上のやりとりで、薬剤師さんから教えていただきました。ありがとうございました。