『家庭の薬学』

自分に合った市販薬を選びませんか?

新型コロナを語るならセルフメディケーションも語らねばならない

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1960年代のセルフメディケーションを解体せよ

小売業に身を置くわたしは、ここ数ヶ月の間、多くの生活者の不安や混乱を目の当たりにしてきました。そこで見て感じたことは、日本の「セルフメディケーション(self-medication)」の概念は一旦解体した方がいいということです。色々間違っている。壊して再構築したほうがいい。

これは、同業者から一定数の賛同を得られる意見だと思います。しかし、解体すべき理由は「セルフメディケーションは危険だから」「素人(非医療従事者)には正しい情報がわからないから」「医療デマが広がるから」ではありません。1960年代の欧米においてセルフメディケーションは「不必要で、健康を損なう可能性のある行為」と扱われていました(Self-medication: A Current Challenge)。日本はその頃のセルフメディケーションの考えのままです。この古く発展性のない考え方から抜け出すために解体・再構築が必要である。これがわたしの主張です。

ヘルスケア分野では、セルフメディケーションは国の制度設計のキーワードです。ですから、この文章を読んでくださっている全ての方が当事者である、という前提で少々お付き合いいただければと思います。

それは「日本再興戦略」に書かれた健康管理術

セルフメディケーションについて簡単に説明をします。ご存知の方は読み飛ばしてください。

平成27年、日本のこれからの成長戦略を描く「日本再興戦略」という報告書が閣議決定されました。長引く経済の低迷、国際競争力の低下、歯止めのきかない少子高齢化。出口の見えないまま日本の衰退が進む中で、これから先、日本をどのように復活させるのか。安倍内閣の元で打ち出されたのが「日本再興戦略」でした。

日本再興戦略は民間投資、雇用制度改革、IT分野の強化など多岐に渡り、数十年先を見据えた改革の道筋を示していました。ここでいう再興とは、経済的な成長だけを指すものではありません。世界有数の超高齢社会である日本では、これから慢性疾患を抱える高齢者や一人暮らし世帯の高齢者が増える事は確実です。報告書は、

「2030年には、予防サービスの充実等により、国民の医療・介護需要の増大をできる限り抑えつつ、より質の高い医療・介護を提供することにより、『国民の健康寿命が延伸する社会』を目指すべきである」

としています。健康寿命とは、元気で健やかに生活できる年月のことです。ベッドに寝たきり状態で余生を過ごすのではなく、生き生きと活動できる期間を少しでも伸ばしていこうという考え方です。そこで、報告書では予防や健康管理に力を入れた新しい仕組みづくりを提言しています。

この仕組みづくりを実現するためのキーワードとなるのが、今回紹介する「セルフメディケーション」という考え方です。

近年のセルフメディケーション

セルフメディケーションとは一般的に、健康の自己管理術のことを指します。「自分自身の健康に責任を持ち、軽度な身体の不調は自分で手当てすること」(日本薬剤師会)などと説明されます。

海外では長く使われているグローバルな言葉です。医療資源の乏しい発展途上国でセルフメディケーションは拡大しており、アメリカ・イギリスなどの先進国でもセルフメディケーションに関する研究論文は数多く報告されています。

近年の日本では政策的誘導が強化され、2017年からは新税制「セルフメディケーション税制」が始まりました。直近の調査では7割の国民がこの新税制を知っているそうです。国のテコ入れに刺激されたマスメディアも、しばしば制度の動向を報じています。ここ数年はセルフメディケーションの主役とも言える市販薬(一般用医薬品)に焦点を当てた新聞・テレビ報道が増え、わたしの元に取材依頼が来るようにもなりました。

新型コロナで市販薬の需要が拡大

奇しくも今直面している新型コロナウイルスのパンデミックは、日本のセルフメディケーションの存在感を高めています。不特定対数の患者が集まる病院はウイルス感染のリスクが高いとして「しばらく病院へ行くのはやめておこう」という人が増えているのです。その全容がわかるのはこれからですが、民間の調査会社(JMIRI)によると3月の時点で全国の処方箋枚数は対前年で1割減りました。特に耳鼻咽喉科と小児科はそれぞれ64%、70%と著しい減少です。その一方で、別の調査会社(インデージヘルスケア)からは市販薬の販売額が伸びていることが報告されています。実際わたしも「今はコロナで病院に行けないから市販薬を買いに来た」という来店者を見ています。

しかし、一般生活者のセルフメディケーションが適切に行われているかといえば、答えは「ノー」と言わざるを得ません。新型コロナウイルスの混乱は、日本のセルフメディケーションが今のままではいけないことも明らかにしました。そのことをいくつかの事例と共に紹介したいと思います。

新型コロナで起きたセルフメディケーションパニック

現在進行形のコロナウイルス禍は、わずか数ヶ月の間に日本社会を混乱に陥れました。メディアでは連日、新型コロナウイルスに効く新薬の話題や、自粛要請をめぐる国・自治体の対応について多くの議論がなされています。

その一方で、足元の市民生活では、セルフケアにおいていくつかの問題が起きました。

①知識不足から来る混乱

コロナウイルスの感染拡大が始まって以来、深刻な状態になったのが感染予防商品の品不足です。特にアルコール消毒薬をめぐっては大きな混乱が生じました。

アルコール消毒液と一口に言っても様々な製品があります。感染防止のアルコール消毒の場合は、一般的には一定濃度以上のエタノールを指します。ところが、消費者の理解はそうではありません。消毒薬が品不足になり間もない2月、エタノールとは異なる有害劇物の燃料用メタノールを誤って購入している可能性をNHKが報じ、注意を呼びかけました(News Up 消毒用アルコール ひと文字違いが命取り | NHKニュース)。アルコール消毒といっても、それが何を意味するかは意外と知られていません。わたしも店頭で「アルコール消毒のアルコールって何のこと?」「ウェットティッシュの”ノンアルコール”ってどういう意味?」という質問を受けます。商品ごとに濃度が異なるエタノールは、ウイルスへの効果もまちまちです。一般的に推奨されている60%以上という数値に関心を払わない消費者もいます。

マキロンがコロナウイルスに効くかのような情報が出回ったこともあります。マキロンの成分である塩化ベンゼトニウムの新型コロナへの有効性については十分なデータはまだ揃っていません。現時点でエタノールと同じように使えると認識されるのは危険です。確かなことは、この添加物成分に書かれたマキロンのエタノールは24%以下であり、エタノール消毒としての効果は期待できないということです。 

②患者に降りかかるパニックのしわ寄せ

消毒用エタノールなどの市販の消毒薬の急激な需要増加によって、混乱が混乱を呼ぶ事態も起きました。毎日新聞が4月に報じたところでは、アルコールを薄めるために精製水を使うのが良いとする誤った情報が流れたため、精製水が品薄になり、人工呼吸器を使う患者さんが入手できずに困るという問題が発生しました(精製水買い占めで品薄、人工呼吸器使う難病患者に戸惑い - 毎日新聞)。わたしの身近では、2月から医療機関の方が在庫不足になったエタノール消毒薬をわざわざドラッグストアに買いに来たり、自己注射や介護でいつも使っている消毒綿がなくなり必死に購入を訴えてくる患者さんがいたりしました。日常生活の衛生消毒よりも必要性の高い人たちに消毒薬が行き渡らなくなるという事態が起きたのでした。

セルフメディケーション「2つの失敗」

こうした出来事は、わたしたちに非常にわかりやすい「セルフメディケーションの失敗例」を明示してくれました。失敗の一つは、不十分な知識がセルフケアを行う本人に損害を与えることです。そしてもう一つの失敗は、パニックを伴うセルフケアは個人的な問題を超えて、他者と社会全体をも不安と混乱に陥れることです。

新型コロナウイルスの特徴と予防策が確立されていない2〜3月の頃は、誰もが市販の消毒薬を買うことに必死でした。それは消費者心理として十分理解できるものでした。しかし振り返ってみれば、果たして一般生活者にそれほど多くの消毒薬が必要だったのでしょうか?

細かな検証は今後に譲るしかありませんが、現時点で国内感染者数の上昇を抑えているのは、外出自粛と手洗いの徹底のおかげであり、市民生活の消毒薬ではない可能性があります。

「石鹸警察」はいらない

手洗いと接触機会の抑制効果は新興感染症に対する重要な教訓です。今後新たなパンデミックが起きた場合に、まず感染防止対策として徹底されるのは手洗いでしょう。消毒薬は今回よりも冷静な態度で適切に消費されるでしょう。なぜなら、一人一人の頭に「なぜ手洗いが一番大切か」「どんな消毒薬があるのか」ということが知識としてインプットされているからです。世界的ベストセラー『サピエンス全史』の著者、ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、コロナウイルスのパンデミックについてこう語っています。

「たとえば、石鹸で手を洗うことを考えてほしい。これは、人間社会の衛生上、屈指の進歩だ。この単純な行為のおかげで、毎年何百万もの命が救われている。石鹸で手を洗うことは、私たちにとっては当たり前だが、その重要性を科学者がようやく認識したのは、19世紀に入ってからだった。それ以前は、医師や看護師さえもが、手術を1つ終えた後、手を洗わずに次の手術に臨んでいた。今日、何十億もの人が日々手を洗うが、それは、手洗いの怠慢を取り締まる「石鹸警察」を恐れているからではなく、事実を理解しているからだ。私が石鹸で手を洗うのは、ウイルスや細菌について耳にしたことがあり、これらの微小な生物が病気を引き起こすことを理解しており、石鹸を使えば取り除けることを知っているからだ。」(原題:the world after coronavirus ― This storm will pass. But the choices we make now could change our lives for years to come)の河出web訳より

ハラリ氏のいう「石鹸警察」とは、他者による強制力や圧力を指します。石鹸警察は我々の自由を奪う権力です。しかし、今や私たちは誰かが何かを強制しなくても、「手洗い」という最適な解を実行することができていることにハラリ氏は注目すべきだと語っているのです。

セルフメディケーションの理想形

わたしはこれこそ、セルフメディケーションの理想形であると思っています。

今のセルフメディケーションにはいくつもの誤解があります。マスメディアが報じるセルフメディケーションは「税控除がある」「病院の薬がドラッグストアで買えて便利」「病院の薬が市販薬でしか買えなくなる」がほとんどで、いわば「生活者にとって損か得か」という視点のみで語られています。それはそれで大切なのですが、誤解を生まないために次の点はハッキリさせておくべきでしょう。すなわち、セルフメディケーションは「損か得か」を決める物差しではないということです。セルフメディケーションは、「民主主義」や「LGBT」のような、社会と個人の問題をあぶり出しそれを解決していくための、新しい医療のアイデアです。

語ることは誰でもできますが、実践することは容易ではなく、多くの苦痛と困難を伴います。それでも、近代社会において民主主義を放棄する人がいないように、セルフメディケーションもまた我々から切り離せません。セルフメディケーションは21世紀のヘルスケア民主主義である。これがわたしが提起したいことです。

終わりに

このブログではもう少しセルフメディケーションについて語っていきます。今わたしたちが使っているセルフメディケーションという概念は一旦解体し、再構築しなくてはいけないと思います。旧文部省が昭和23年に刊行した『民主主義の教科書』は、民主主義の定義は容易ではないと述べた上で、次のように根本精神を言語化するところからスタートしています。「民主主義の根本精神はなんであろうか、それは、つまり、人間の尊重であることにほかならない」(『民主主義』文部省編より)。

これはセルフメディケーションを再構築を始めるあたり、非常に示唆に富むくだりだと思われます。

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